冊子「放射線被ばくから子どもを守るために」のウソ

一部で出回っているらしい「放射線被ばくから子どもを守るために」という冊子*1についてまとめました。見てない方は特にみる必要もないですが、一応間違いを指摘しておきます。本当は、「読むに値しない」で片付けたい内容ですが要望があったので、以下冊子を引用しながら解説します。

6/6追記 タイトルが紛らわしかったので変更しました。タイトルの最後に「のウソ」を付記。

10年後、20年後になってから現れる晩発性障害の危険性を考慮していません

明らかな間違いです。原発敷地内を除き、現在の放射線量で問題となるのは晩発性障害だけです。取られている対応は、晩発性障害を軽減するための措置であり、晩発性障害の危険性を考慮しなければ対応を取る意味はありません。

国の設定する基準は「ぜったいに安全」と言える基準ではないことが、多くの放射線医学の専門家によって指摘されています。しかし、4月1日に厚生労働省が公表した『妊娠中の女性や育児中の母親向けに放射線への心配に答えるパンフレット』では科学的な根拠も示さず、「心配はいりません」という無責任な記述が繰り返されています。

確率的影響に「ぜったいに安全」といえる基準は取ることができません。それは、自然放射線についても同様です。ただし、今までの疫学調査によれば、100mSv以下での影響が誤差の範囲である(喫煙、飲酒、食生活、日常の運動などの影響により隠れてしまう程度)ということは確かめられています。厚労省のパンフレットについては、私も批判しましたが、根拠を全く示していないという点で無責任であることは、その通りだと思います。

放射線を出す能力を「放射能」といい、この能力をもった物質のことを「放射性物質」といいます。放射線とは、物質を通り抜ける力をもった光の仲間で、「電離」という作用で人体を構成している細胞のDNAを傷つける能力を持ち、人体に様々な影響を引き起こします。放射線がやっかいなのは、人間にとって目に見えず、においも味もしない、五感で感じられないからです。

「光の仲間」なのはγ線X線です。α線β線中性子線など多くの放射線は「光の仲間」(電磁波)ではなく粒子です。また、放射線が「人間にとって目に見えず、においも味もしない、五感で感じられない」のはその通りですが、化学物質などに比べて非常に観測しやすく、その意味では「目に見えやすい」とも言えます。だからこそ、いま専門家でなくても、たくさんの人が放射線の測定をすることが可能なのです。

もちろん、事故が収束しないかぎり、新たに放射性物質が環境に放出され続けるということを忘れてはなりません。

3月下旬以降、放射性物質の大きな放出は見られません。これは、各地の放射線量を見ていればわかることです。

放射線の人体に与える影響を説明する時に、よく「しきい値」という言葉が持ち出されます。しきい値とは、放射線による被ばくのリスクを示す「基準値」「許容量」のことで、その値以下の放射線なら浴びても人体に影響はないと説明されています。

しきい値があるのは、急性障害の場合です。この記述は、急性障害と晩発性障害について混同させかねないものです。そして、晩発性障害についてはしきい値なしのモデル(LNTモデル)を基準として採用しているのは、ICRPも日本政府も同じです。100mSv以下での人体への影響が誤差の範囲にも関わらずLNTモデルを基準とするのは、安全上重要なことです。しかし、疫学調査の結果と基準値モデルの採用は分けて考える必要があります。

体外にある放射性物質から放射線を受けることを外部被ばくといいます。一方、放射性物質の小さな粒を、呼吸とともに肺から吸い込んだり、母乳や牛乳・水や食べ物とともに消化管から取り込むことで、放射線あびることを、 内部被ばくといいます。内部被ばくでは、外からごく短い時間放射線を浴びるCTスキャンやレントゲンなどの外部被ばくとは異なり、局所的にとても強い放射線を至近距離で、長い間くりかえし浴び続けるため、低線量でも危険性が高いということが欧州放射線リスク委員会(ECRR)から指摘されています。

放射線の人体への影響は「シーベルト」という単位で表すことができます。外部被曝の場合は、主にγ線の空間線量により計算でき、内部被曝の場合は、放射性物質の種類や量、体内への取込み方(食べ物と一緒に食べたのか、空気と一緒に吸ったのか)によって計算することができます。そしてシーベルトに換算してしまえば、それが外部被曝なのか内部被曝なのかを考える必要はなくなります。同じ量の放射性物質であれば、体の外より体の中にある方が影響は大きいのですが、その効果は換算係数に加味されています。


また、この冊子では右のような図が示されています。この「学会」が何を指すのかは不明です。この図を見る限り、日本政府の基準がいかにも「しきい値あり」のモデルを元にしているように見えますが、日本政府は、これまでも現在も一貫してICRPの基準値を踏襲していることを考えると、モデル設定だけがICRPと違うと考えることは難しいといえます。

ここで、ECRRについて触れておきます。ECRRは「ヨーロッパ放射線リスク委員会」という名前から、政府機関のように思われている方も多いようですが(私もそうでした)、いち民間団体です。「だから信用できない」ということではありません。しかし、この団体は、論文タイトルを誤って引用したり(故意かどうかはわかりませんが、現在までに訂正はされているのを確認していません)、あまりにも乱暴なモデルで計算したり、という実績があり、信用に値しないと思います*2。この冊子も、ECRRを引用するのであれば最低限モデルを調べるべきであり、そうすればECRRを引用することは考えられないわけです。その意味で、「ECRRを参考にするだけでその資料は見る価値がない」と言っていいと思います。

ストロンチウム90やプルトニウム239は体内にとどまる期間が長いので、一度体内に取り込んでしまうと、その影響を何年にもわたって受け続けることになります。

内部被曝の換算係数には、将来にわたっての影響も含まれています。

ところが、世界の基準値としては、WHO=1、ドイツ=0.5、アメリカ=0.111(Bq/L)となってり、日本の暫定基準値はアメリカの約2700倍となっています。

細かい基準についてはここでは触れませんが、WHOの基準値(ガイダンスレベル)はヨウ素131もセシウム137も10Bq/Lとなっています*3。これは平常時の基準であり、緊急時の基準値はIAEAの基準を元にWHOでも3000Bq/Lとされています*4。現在は、原発事故の影響で平常時ではなく緊急時の暫定基準が採用されているため、日本での水道水の基準はヨウ素131で300Bq/Lとなっており、これはWHO基準の10倍厳しいといえます。

また、東京都水道局が水道水の放射性物質汚染のデータ公表について20Bq/L以下を不検出とするなど(4月14日現在)、安全管理の不徹底も問題です。

こういう記述も「検出誤差についての理解がない」と取れるものです。率直に書けば、20Bq/Lが検出できるというのは、ものすごい精度なんです。1Lあたりに含まれる分子の数は10^{25}個くらいあります。その中で20個の原子核が崩壊するという値が20Bq/Lだからです。10^{25}個から20個を見つけ出す作業を想像してみてください。あまりに小さな値は測定が難しいことがわかるのではないかと思います。東京都の場合に「20Bq/L以下は検出できない」とするのはなんらおかしなことではないのです。

ここまで、わりと丁寧にこの冊子の問題点を指摘してきました。本来、このような作業は情報を出す側がきちんと行うべきことです。とくに、「監修 松井英介(岐阜環境医学研究所所長)」などという権威を元に、さも科学的事実であるかのような情報を発信する場合は、非常に重要なことです。はっきり言ってしまえば、この冊子は「科学的事実でないものを科学的事実であるかのようにしている」という点で、「疑似科学」といってもよいでしょう。誤った情報は広がるのはとてつもない速さです。それに対して、冷静に訂正するのは時間がかかります。このような情報は、出す人に一番の責任があることは間違いないことです。しかし、これらを伝える人も、反射的に拡散するのではなく、一歩立ち止まって「本当に信頼できるのか」を確かめてもらいたいと思っています。この冊子の中に書いてあることも、少し調べれば「ウソ」とわかることも多いのです。

そして、さらに重要な点があります。それは「放射線以外のリスク」が無視されてしまっていることです。とくに避難のリスクについては、飯舘村長も言及しています*5。基準の決め方を含めて、このあたりにまで言及したサイトもありますので、詳しくはそちらをご覧ください*6